1000冊の記憶

1000冊以上本を読むともう内容が曖昧になってくるのでちゃんと感想を残します http://booklog.jp/users/f_t812

養老孟司x名越康文「「他人」の壁」

まとめアプリで見た本が書店の店頭にも置いてあったので購入してみた。

 "常識の世界からは外れていると認識していた"か、自分にも同じような感覚が未だにあって、自分のやっていること、考えていることには実は絶対的な正解があって自分のしているそれは正解からは外れているんじゃないだろうかという感覚が未だに抜けない。頭ではわかっているので正解かどうかよりも自分で納得できる答えを見つけられたかどうかを重視しているはずなんだけど、ふと気づくと正解ありきの思考をしていて感覚的にもどうせ間違ってるんだろうなと思って自信を持てないことが多々ある。
 都会は身体を排除しようとするという話は面白かった。確かに死体は日常生活の中には存在しないようになっている。人は病院で死んでそのまま葬儀が行われて火葬される形式が多くなっているらしいから、家に死体が存在することすら想像だにできない。これもガンダムUCのバナージのセリフじゃないけど、身を寄せ合って自然を遠ざけようとした結果なのだろうか。
 表情があるものが動かなくなると不気味さを感じるのはなぜだろうか。顔以外にも手も動きがないと不気味さを感じるというのは初耳で面白い話だった。でも実際に動いていない手というのは想像しただけでは不気味さは感じない。全く表情のない顔は想像するとちょっと怖い。能面は想像しただけで大分怖い。この差はなんだろう、単に想像力の差だろうか。表情・動きのない顔や手は実際にはあまり見たことがないので想像がうまくできていないだけなのかもしれない。
 "心は瞬間で変化していく"確かにそんな気はする。ということは今自分が認識している"自分"とは一体なんなんだろうか。そもそも自分は自分のことを認識しているんだろうか。認識しているならどうやって認識しているんだろう。食べ物の好き嫌いとか趣味とか職業とかだろうか。それって他人から見た場合と変わらない。そうではない自分だけが認識できる自分とはなんだろうか。言葉にしてしまったらそれは第三者の意見と変わらないのかもしれない。ということは自分とすら意識していない言葉に還元できないものだけが自分という実態なんだろうか。
 結局人は変化したものしか認識できないんだろうか。周りが変化するから認識を改める、自分が変化するから認識が変わる。どちらもあるけど、周りの変化は部分的だけど、自分の変化は周りの認識を全て変える可能性があるからそちらの方がよりインパクトが大きいのかもしれないなと思った。
 "コンクリートの壁に囲まれて仕事をするようになって、物事の本質をつかめなくなった"。その反動でWeb世界の本質を知りたくなってデータサイエンティストになったのかもしれないなって思った。単純にデータを使って何か新しいサービスを創るだけではなくて、データのもつ意味とかそこに反映されている人の意思なんかが垣間見えることに職業としての魅力を感じる。
 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」これ高校生の時英語の参考書に書いてあったのが一番印象に残ってる。国語苦手科目だったし。
 グローバル絶対から揺り戻しの動き、歴史の繰り返し。人類の脳っていうのは個別に分散されているように見えて全体として、また時系列に見てもバランスを取るように設計されているように見える。ここの脳がそれ単一で全体の動きを認識・想像できることに依るのかもしれない。あとはこのサイン波のような揺り戻しの動きはなんなんだろう。基本的に人間の脳っていうのは保守的なものだと思っているんだけど、保守のあり方が一点に静止しているのではなくて、同じ動きを繰り返すような保守なんだろうか。等加速度運動のような。なんかとりとめのない想像・仮説・思いつきばかりで全く説得力に欠けることばっかり書いてる。
 後半に行くにつれて話が怪しくなってきた。抽象化して考えるのは人間の能力の一つだろう。それを感覚を捨てて無意識のうちに同一にしてしまうという言い方はいかがなもんか。単に分解能の問題だろう。それが大雑把な方が良いか、きめ細かい方が良いかなど一概に言えないし、一個人の中でも分解能の大きい分野と小さい分野が入り混じっているだろう。
 情報化社会でオフィスの話持ち出すのは情報の意味を履き違えているとしか思えない。それかそもそも意味がないって話なのかな。
 AI論になって一気に養老孟司の意見もう聞く価値ないなと思えた。こりゃダメだ。ただの年寄りになっちまってる。
 "関係によって実体が存在しているように見える"これほど人間の存在を端的に表している表現もなかなかないと思う。
 最後に一言これを載せておく。アムロ -> シャア「やってみなければわからん!お前ほど急ぎすぎもしていなければ、人類に絶望もしちゃいない!」