1000冊の記憶

1000冊以上本を読むともう内容が曖昧になってくるのでちゃんと感想を残します http://booklog.jp/users/f_t812

日高祐介「組織の毒薬」

  • 選書の理由
     人に勧められたので試しに読んでみる。
  • 書評
     とても面白い本だった。内容的にはよくあるどう組織をまとめるかとかどう組織をマネジメントしていくかみたいな話だったけど、社員に対して発信していた内容がそのまま本になっているので、とてもリアルに伝わってきた。いわゆる読者を諭すような論調であったりとか聞こえの良い文章ではなくて、実際に社員宛にメールで送られてきていてもおかしくない感じの文章なので現場の空気感のようなものまで伝わって来る。
     普段上級の役員の人が考えている内容はよくわからずにただただ萎縮して聞くだけになってしまう事が多いけれど(というか大半だけど)、こういった内容を社内に発信しているのは社員としてもやる気が出しやすいし、安心感が持てるものだと思った。
  • -メモ
     熱中できる仕事がしたい。時間を忘れて何かに没頭したいと思った。
     競合と知り合いになる必要がないというのは、最近自分がよく思う事。昨今のAI界隈のように何でも横のつながり作ってみんなでシェアしていくスタイルがどうしても相容れない。多様性を殺してみんなでお手手繋いで、のようにしか見えない。

酒井嘉昭「ジオマーケティング戦略」

  • 選書の理由
     読んでおく必要がありそうだったから。
  • -メモ
     ジオデモグラフィックス、要注意単語
     様々なオープンデータから売上予測モデルを作成する方法を見ることができた。商圏分析は消費者の特徴も考慮に入れるともっと面白いものが見れる。遠くから来る人、近くから来る人、来訪頻度などを見るとまた違った戦略になるのだろう。

森博嗣「MORI Magazine」

  • 選書の理由
     最初は買うつもりなかったけど、書店で数回見かけるうちに深層心理に残ったらしく購入。
  • 書評
     内容は著者の作品でいうとエッセイに近いものだった。ただ昔と比べると最近わからなくなっている著者の現状が少しだけ垣間見れる。
  • -メモ

半藤一利 佐藤優「21世紀の戦争論」

  • 選書の理由
     池袋のジュンク堂書店で偶然見かけたので購入。本来は半藤一利氏の「文士の遺言」か立花隆氏の著書でも買おうと思っていたが本を手にとってみたところ今ひとつピンとこなかったのでこちらを購入。
  • 書評
     面白かった。日露戦争後から現代まで続く日本という国の体質がよくわかった。戦争はいやだと一度は決別を宣言しておきながら、今再び戦争ができる国になろうとしている姿は、まさにこの国の空気がそうさせているのではないだろうか。もしそうだとしたら、この国の歴史がまさに示してきたように止められるものではないだろう。日本人は、人間はきっと何も学んではいない。色々なことを前の世代から受け継がず、字面を追ってただ忘れているだけだ。
  • -メモ
     歴史から何かを学ぶということについて、やはり失敗から何かを学びとることが重要だと思った。特に今回の内容ではノモンハン事件について失敗と捉え徹底的に調べたソ連と何もしなかった日本の差は最後敗戦という形で大きく現れたように、日々の仕事にもこれは適用できると思う。何もしなければ次々変わっていく業務をこなしていくだけになってしまうが、何がダメで何が良かったのかは失敗したものこそ徹底的に洗い出すべきだろうな。
     カイロスとクロノス、自分にとってのカイロスアトピーがある日突然治った23歳の夏の日です。
     佐藤優の話にはちょっと誇大妄想的な部分があるように思う。安倍晋三の「一億総活躍社会」は今の日本の人口から考えたら残りの3千万人には自分たちで何とかしてくれという意図が含まれてるとか、もう全く荒唐無稽でわけがわからん。知識の詰め込みすぎで頭おかしくなってないか。

立花隆「がん 生と死の謎に挑む」

  • 選書の理由
     久しぶりに立花先生の本を読んでみたくなったので購入。久しぶりだったので自分が医療系の話に弱いの忘れていた。電車の中とか外では読めない。貧血起こして倒れるかもしれない。
  • 書評
     著者が冒頭で説明しているが、本書はNHKで放送された番組の原書的な内容である。従って今回放送を見ないまま読んで見たものの、若干のわかりにくさはあった。
     内容としては第一章で番組を作成するにあたって行われた取材内容がメイン、第二章として著者のがん手術体験がメインとなっている。第一章では番組の宣伝が多くを占めているものの、がんとは何なのかから始まりその根本治療の難しさ、ひいては人生とは何なのかとう所まで実際のがん患者へのインタビューを交えて展開されており非常に考えさせられる。
     第二章では著者が実際ががんの宣告を受けるところから、その時の心境に至る原因まで描写されており手術の方法から心境の変化まで非常に詳細に描かれている。しかしながら描写が詳細すぎる故、心的な気持ち悪さを覚えてしまい手術部分はじっくりと読むことができず文章の表面部分を飛ばし読みしながら何とか内容だけは追っていった。それぐらい精密な描写だったと思う。。  
  • -メモ
     がん細胞のメカニズム、しぶとさを知るに連れてもはやがん細胞は細胞単体として進化した形ではないかとさえ思えてくる。人間という生き物が細胞ひとつ一つではなく、その集合体として情報での価値を持っているのに対してがんは細胞ひとつひとつが価値を持っているものだとしたら細胞のがん化は細胞それ自体としては進化したとみて良いだろう。ようやく人間、生物という情報体から生きることを奪い返したともみられなくはない。
     第一章の終わりで生きる、生命とは何かということを考えさせられた。先の福岡伸一先生の著書のような生命科学的な生命ではなくて人が生きていく人生とは何なんだろうと思いを馳せずにはいられなかった。今自分は自分の人生に終わりがあるのだということを単純な知識としてしか受け止められていない。これがもし病気にかかってあと何日の命ですと言われたら、まず間違いなく今のこの心境には戻ってこられないことだけはよくわかる。

赤坂真理「愛と暴力の戦後とその後」

  • 選書の理由
     まとめアプリで紹介されているのを見て購入。新宿のbook1stにたまたまあったから購入したが、もしなかったら買っていなかったかもしれない。
  • 書評
     論理展開よりも著者の感情が全面に出ていて非常に読みにくかった。思いつきをメモに残していって、そのメモに適当な推測とほんのちょっとのリファレンスつけてる程度の内容だった。揚げ足をとるわけではないと言いながら漢字一文字の意味に異常に固執して、意味がわかってないからけしからんと、何を言いたいのか最後まで理解できなかった。結局、私が見てきたアメリカ凄い、日本遅れてる、的な田舎者の丸出しの本に思えた。

  • -メモ
     出だしが文学的だったのが逆に戦後?高度経済成長期?の暗闇を見せつけられるようだった。人の闇、社会の闇をどう人間の心が処理したのか、単にそれは見えているはずなのに見ないようになっていただけだった、という始まりは内容にどう反映されているのかちょっと楽しみ。
     著者が学生時代に何のトラウマを植えつけられたのか知らないけれど、相当に根の深いものを感じる。”現代日本語はキメラでいくしかない”言語なんてどれも相応にキメラめいているでしょうに。自分が感じた劣等感をそのまま日本人に投影している感がすごい。

甲野善紀 養老孟司「古武術の発見」

  • 選書の理由
     まとめアプリに出ていて気になったので購入。養老先生の最近の著書はあまり好きではないけど本書は結構前のものなので期待。

  • 書評
     あまり読んだことのない内容の本だった。基本的には身体と精神の話で現代の日本人がいかに身体を意識の外に置いて精神すなわち心を重視しているかという警告だった。これと同じテーマは奈須きのこ氏の「空の境界」という小説でも描かれている。
     しごきや何も考えずにただ反復練習させられる修行が行われる理由は納得感があり非常に参考になった。身体が何かを体得するということは言葉で伝えられるものではないので結局その人だけのものになりがちである。そうすると武道の流派において二代目以降や師範は体得できているかも怪しいから教えられることがない。すると何をしていいかわからなくなるから、結果的にわかりやすいしごきや反復練習の強制ということになる。そして本当に理解している人間ならばそういう方向には行かずに後輩との共同研究という道に進んでいける、らしい。
     内容的には難しくて一度読んだだけではおそらく半分も理解できていないが、それこそこれ以外の本を理解しているという錯覚に基づいていて感知しているだけなのかもしれない。とすると本書でも挙げられていたが、もっと身体の知覚というものを意識してそれを研ぎ澄ませるように修練することには価値があると思った。

  • -メモ
     江戸時代に身体というものが意識されなくなり、では身体はどこへ行ったかというと武術の中に入って行ったらしい。
     道州制の話が出てきたが、今の県の大きさが人が一日に歩ける範囲だったのではないかという話はとても興味深かった。
     日本人の特徴というか海外の人間は言葉を重視して言語化できないものは存在しないという考え方、対して日本人は言語外のものを重視して、言語にできないものをむしろ積極的に認めている。言わなくてもわかってくれるとか。これは確かになるほどと思って面白かった。このような精神の上に西洋の文化を上塗りしている今の日本は非常にアンバランスな状態にあるのではないだろうか。でもそれは海外の文化を特に抵抗なく吸収してしまう日本人の特製の一つである。
     小脳はオートでの動き、大脳はマニュアル的な動き。スポーツが基本的に動きをオートにすることを目的としているとしたらプロのスポーツ選手は小脳が発達しているのだろうか。それとも大脳の機能が弱くて相対的に小脳が優位に立っているのだろうか。何れにしても想像するとなんか怖い。
     ”頭も感性もフルに動員してやるものなのだということがわかってくれば、後輩をしごいたりするより、後輩を心身ともにいい状態にしておいて、共同研究をしていくような形に自然になるはず何ですね。”その通りだと思う。教えるという立場よりも一緒に学んでいく立場を取ったほうが双方にメリットが大きい。
     ”広沢は考えない、池山は考えたことがない、長嶋に至っては、考えるというのはどういうことかもわからない、”何これ。
     養老先生の江戸時代の人の自分の捉え方の話はとても興味深かった。身分制度が安定しているから、自分の中の我よりも他人の中の自分、社会の中の自分がどういう存在なのかが重要で、皆それをきちんと理解していたと。だから本居宣長は他人が見る自分の墓を詳細に指示している。その反面、我が支配している現代では自分を理解しているのは自分だけだから墓はいらないという発想になる。どちらが正解ということもないが、とても怖いのはどちらも正解と思えない状況だ。他人の中の自分、自分の中の自分、どちらかを正解を思えるならば、それはそれで安定した状態だと思う。だが、どちらが正解なのかわからない状態ではそれはとても不安定だ。結局自分とは何なのか、わからない。現代は我というよりも、自分とはとどのつまり何なのか、根本的な疑問を暗に心のうちに宿している人が多いのではないだろうか、社会が安定していた江戸時代の人と比べて。