1000冊の記憶

1000冊以上本を読むともう内容が曖昧になってくるのでちゃんと感想を残します http://booklog.jp/users/f_t812

福岡伸一「せいめいのはなし」を読んだ

 福岡先生の本は有名どころは全て読んでしまったから,どこかで聞いたことのある話ばかりだけれど,それでも面白い.本書は複数の人物との対談の形を取られているので,自分が本を読んだ時には考えもしなかったこと,理解できていなかったことがわかりとてもお得感がある.  最初の対談相手,内田樹先生との話では原因と結果についての話題で特に考えさせられるものがあった.動的平衡に基づいて考えると原因と結果は鮮明に別けられるものではなく,それら二つが混ざり合って結果今ができているという.これはデータ分析において非常に致命的な問題で,これが成り立たないならば本来は機械学習統計学などはありえない.今統計が成り立っているのはおそらく個を見ずにマスを見ているからだろう.これからパーソナライズが進めばきっとこの学問・手法は破綻する.基本的には過去の事象から未来を予測するしかないが,個々の人間の振る舞いを個々に予測しようとすればするほど正解からは遠ざかって行くのだろう.この矛盾を解決できる手法がそのうち学問として生まれてくるのだろうか.
 この本で印象に残っているところは川上弘美さんとの対談で,"理解"とは何かについて語っているところや川上さんが福岡先生の本を読んで理解したものについて語っているところ.特に"理解"についての記述は鮮烈で,部分として認識するのではなく,全体として認識できた時にもっと深い理解に達するというのは真理であるように感じた.
 四人目の対談者養老孟司先生との話も学術的に非常に面白い内容だった.特に昆虫の擬態から見た進化の理由の考察が面白かった.人間の目から見ると擬態に見えるけれど,天敵は人間と同じ目の構造をしていないから実は周りの環境に適合しているように見えているのは人間だけだという話にはハッとさせられるものがあった.でもそれを抜きにしても地域ごとに昆虫の色合いに特徴があったりある種の制限があったり,ダーウィニズムでは説明のできない生命多様性があるという話を聞くと科学は万能ではないし,神ではないにしろ生命体には何かしらの見えない力が働いているのではないかと疑いたくなってしまう.また情報化時代は時間を止めた社会になるという話だったがこれがいわゆるAIとか機械学習全盛の時代が来れば音楽と同じで流れの中で情報を掴む時代になるのではないだろうか.
 「動的平衡」は単純に細胞が絶えず入れ替わっていて,その入るのと出て行くスピードがバランスが取れているがためにあたかもそこに生命が物質という形で存在しているように見えているという話かと思っていたけれど,それでは理解の半分ぐらいだったらしい.最終章での福岡先生曰く,細胞同士が相補的に関係と作っていてその中で平衡状態が保たれていることが必要らしい.

西部邁「保守の真髄」を読んだ

 冒頭の解題から,なんだこの文章はと思えるような強烈な表現・難解な表現のてんこ盛りで著者の並々ならぬ想いというか魂の叫びのようなものが重くのし掛かってくるようだった.
最初の数章を読んでみようかと思っていたが文章にあてられそうだったので,一度解題で本を置いた.ここまで漲ったものを感じる書を手にするのは滅多にあることではない.
 一章の冒頭読んでみたけど,もうちょっとマシな人かと思ったらただスマホ使いたいけど使い方わかんなくて悔しいから吠えてるだけの人っぽいな.

 言葉の定義にやたら難癖つけてて,論理は妄想の上に妄想を重ねている.議論に値しないような内容まで書かれているので結局著者が何が言いたいのかわからない.考え方が固まりに固まってしまった頑固親父が昔は良かったって言ってる事ぐらいしか理解できなくて途中で読むのやめた.

佐藤優「一触即発の世界」を読んだ

久しぶりに氏の著書を読んだ.これまでの著書と違わず新聞や報道からどのように情報を読み取るかについての知見に面白さがある.もともと外務省でソ連を担当していただけあって毎回ロシア関係の著書が多く,今回の著書も安倍総理プーチン大統領山口県での会談や北朝鮮に関するものがほとんどだった.
ところで毎度のように氏が日本に危機が訪れているような発言をしているものの,本を読んでいる時こそこれは,,と思うものの一度読み終えてしまうと全く印象に残らないのは何故だろうと考える. と,改めて考えてみると恐らく現代危機的状況にあるのは北朝鮮問題だけではないからだろうなと思った.北朝鮮が暴発して戦争が始まったり,核ミサイルを打ち込んでくればそれはそれで大惨事だが,かといってその確率は今すぐ疎開しなければならないほどではないなと思ってしまうし,それよりも一度外に出れば非常なストレスに晒される日々を生き残る方が余ほど大変だ.いっそ世界がなくなってしまえばいいのにと自虐的に考えている人も少なくないだろうな.

司馬遼太郎「最後の伊賀者」を読んだ

タイトルは忍者ものだけど中身は短編集で最後は道頓堀の由来にまで発展していった.司馬先生の忍者モノといえば「梟の城」が好きだったけど,久しぶりに忍者モノ読んでみると忍術っていうのはいかに人を幻惑させるかにかかっているのがわかる.
あとは円山応挙・呉春の話とか学校の授業で習うよりも司馬先生の本読んだ方が記憶に残るし,面白いなと毎度のことながら思った.

司馬遼太郎「王城の護衛者」を読んだ

 会津藩藩主松平容保の伝記を中心とした短編集.学校の教科書では描かれていない会津藩主の家柄や幕末京都守護職を受け入れるまでの松平春獄一橋慶喜との問答・葛藤が面白い.政治謀略や謀を得意とした長州藩薩摩藩と比して会津藩及び容保はその方面に置いては全く幼稚で何もできないどころか知りさえもしない人物になっていた.
 その他は大村益次郎河井継之助,人斬り以蔵の話だったのでこれはこの本に収録されている短編を読むよりはそれぞれの「花神」「峠」を読んだ方が良いと思う.

司馬遼太郎「北斗の人 下」を読んだ

 江戸後期に千葉道場を開いた千葉周作の伝記.奥州に生まれた周作が剣のみでいかにその流派を完成させ,江戸に大道場を開いたかが司馬先生の手で小説の様に語られている.
 江戸時代の道場が今でいうサービス・商品と非常に類似点が多いことがよくわかる.繁栄していくためには人を集めなければならないこと,人を集めるためには宣伝をしなければいけないこと.剣は身につけるものであるがためにその宣伝文句がひどく曖昧で神秘的なものになっている点,稽古の仕方が合理的なものではなく伝統的なものになってしまっている点などは今の大企業に通じるところがあると思う.ただ一点異なっているのは復讐だろう.今のご時世競争に敗れれば会社が潰れるだけだが,この時代は負けた時に大いに言い訳をして,勝者を闇討ちしてしまう物騒さがあった.  なのでこの小説は江戸時代の物語としてだけではなく,現代の個人の成功物語としても通じるものがあった.特に一個人が江戸で大道場を開くに至る経緯などはGoogleAmazonFacebookの成功物語に非常に近いものを感じた.そしてその成功の過程でただ他流派よりもちょっと優れていただけではなく圧倒的な勝ちを納めていったところに共通点がある様に思われた(いわゆる司馬史観なのかもしれないが).
 ただ現代の大企業の創業者の伝記の様に成功までの物語が仔細に描画されている訳ではないので願わくば周作が強くなっていく過程をもう少し詳細に知りたい読後感に襲われた.

「看護婦が見つめた人間が死ぬということ」を読んだ

いくつもの死を見てきた看護婦がその実例を文章にする中で,自身が死というものをどう捉えているかが描かれている,とても考えさせられる一冊だった.
看護婦が見つめた死なので一例を除いては病気でなくなった人たちの実例で構成されてはいるものの,病気や症状だけではなく患者の周りの人間模様まで描写されていた.周りの人間の描写では特に冷淡な人間関係を描いたものが多く,自分はこうはならないだろうとは思うものの,一種介護疲れや疲労が溜まった時,余裕がなくなった時には身内である患者に対しても辛い行動・言動を取ってしまうのではないかと不安を感じざるを得なかった.本の中で描かれていたことではあるが,日々なるべく後悔の内容に過ごすということが難しいがいざという時には大事になるものだと思わされた.
そんな話とは対照的にたった一例だけ,老衰による死の一例があり,こちらは他とは全く逆の色彩を放っていた.もはや患者とは呼べないのかもしれないが,九十五歳を数える女性が3日起きて3日寝ている状態から徐々に呼吸が弱くなっていきついに亡くなった時,そばにいた娘の抱いた感情と筆者が達した死というものへの境地,ここだけでも一見の価値がある作品だと思った.
この本を読んで思い出したのは,確か森博嗣先生の作品,S&Mシリーズに出てくる真賀田四季博士か百年シリーズに出てくるデボウ・スホのセリフだったと思うが,「死を恐れている人はいません,死に至る生を恐れているのよ.」を思い出した.きっとこの本の作者も同じ境地に至ったのだと思う.死そのものは怖くない,死と隣り合わせの生が怖いだけなんだろう.