1000冊の記憶

1000冊以上本を読むともう内容が曖昧になってくるのでちゃんと感想を残します http://booklog.jp/users/f_t812

シュレーディンガー「生命とは何か」

  • 選書の理由
     先に読んだ福岡伸一先生の「生物と無生物のあいだ」で紹介されていたので福岡先生の一連の書を読む間に挟んで読んでみる。

  • 所感
     本のタイトルになっている「生命とは何か」という問いに対してシュレーディニガーは原子の振る舞いを説明する物理学的な規則・法則ではなく生物学の面から回答を導き出そうとしている。原子のランダム性を孕んだブラウン運動のような振る舞いに対し、生命体の身体を創る分子を秩序立った存在として、その秩序の土台の上から目指す答えに迫ろうとしている。
     上記のようなアプローチの中でも特に、シュレディンガーは意思・思考こそが生命と呼ぶものの根元だと主張していたのではないだろうか。ランダムな原子の上に成り立つ分子の秩序こそが生命体を生命体足らしめたものだと書いてはいたものの、生命として原子と比較し、生物学的アプローチを試みていたものはエントロピー増大の法則から逃れた生命体の神秘ではなく、意思・思考とは秩序を持った分子の上にいかに現れているか、であったと思う。
     久しぶりに哲学書を読んで思い出したのは、とっかかりの読みにくさだ。哲学書はまず言葉が難しい。どの程度の粒度で言葉を認識していけばいいのかわかるのにおおよそ一章分ぐらいは読む必要がある。でなければ、軽く読んでも良い箇所、かなり細かく言葉尻まで気にしながら読まなければならない箇所の判別ができず、それができないうちは内容の理解が進まない。哲学書は定期的に読んで感度を高めておきたいものだ。

  • -メモ

    • 第1章
       表現や言い回しが海外の著書らしい感じでとても読みにくいのでなるべくメモを残して行く。とりあえずこの著書でシュレーディンガーが明らかにしたいのは生命体の内部で起こっていることは化学的・物理的に説明が出来ることなのかどうかということらしい。
       このシュレーディンガーの時代の観点では、生命体の構造とは非周期性結晶であるため周期性結晶をその研究対象としてきた物理学ではこれまで発見されてきた規則や法則が生命体に当てはまらない、これが生物学・物理学の不可能性ということ。
       シュレーディンガー自身も物理学を学び生物体の構造を物理学の観点から理論的に仮説立て、それを生物学的観点から見直すことで今の考えに至ったと、それしてそれはとても紆余曲折している道でありそれ以上に正解にたどり着く近道はなかったと。
       我々の最大の関心事は生命体の機関の働きよりも、思考と感覚の基礎をなす生理学であるので、物理的な変化とそれに伴う思考・感覚の変化を呼び起こす為には何故こんなにも膨大な数の原子が必要になるのか。シュレーディンガーは思考と物質(脳髄)が密接に結びつく為には秩序立った組織が高い精度で物理法則に従っている必要があり、さらに外界からの刺激に対しても同じように物理法則に従って相互作用する必要があるという。これは原子を一つずつには揺らぎがあり、この揺らぎの作用が大きい(原子に対して現状よりも体が小さい)状態では秩序が保証できないことの裏返し。または物理法則が原子一つ一つの記述ではなく、膨大な数の原子の振る舞いの近似値に過ぎないから。
       原子一つ一つの振る舞いはブラウン運動に代表されるようにランダム性を孕んでおり、確かに一つ一つの動きを全て捉えてしまうと秩序がなくなってしまう。ではここで生じる疑問はなぜ生命体の体は原子一つ一つの動きではなく、全体の平均を感じ取るようになったのだろうか。原子一つの動きにまで鋭敏で全体ではなくここの動きを察知する感覚器官ができていても不思議はないはず。なぜに角も大きな体と平均を知覚する機関になったのだろう。
    • 第2章
       第1章の話は厳密には生命体に当てはまらず今日ではごく少数の原子からなり、統計的法則を満たしそうにない原子団が体内で影響を及ぼしているらしい。しかしながら物理学的な統計法則は満たしていなくても生物学的法則は極めて厳密に満たしている。
       対になっている染色体のどちらか一方を確率的に遺伝しているのだとしたら自ずと人の数もかなり限定されるし、そもそも染色体の種類数が限定的になるんじゃないかと思ったら、対になっている染色体同士が一旦交差してそこから分離することがあるのね、だとしたら交差する場所で別の染色体ができあがるからほぼ無限に近い組み合わせになりそう。
       シュレーディンガーはそもそも形質というものを厳密に定義できずむしろ全体として一つだという考え方をしている。これは身体を機械論的に考える今の主流とは真逆の立場だ。
    • 第3章
       偶然変異と突然変異。偶然変異はいわば揺らぎ、誤差のようなもので遺伝はしない。これに対し突然変異は現存する種とはその特徴を異にするもので遺伝する。ということは偶然変異は後天的なもの、突然変異は先天的なものであって先の染色体の交差と関係するのだろうか。だが、そうであるならばもっと多種多様な突然変異が起こっても不思議ではない感じがするのでそう単純なものでもないのかな。そうか、交差によって染色体全体は変わるかもしれないが所謂座と呼ばれる部分的な箇所は正常で突然変異体とはならないのか。ここに優性・劣性も考慮に入れる必要があるからもう一段階複雑だった。
       原子一つ一つの揺らぎの影響を受けない為に生命体の身体が大きくなっているのとアナロジーで、突然変異の影響を極端に受けないようにその確率が小さくなっている。世の中の現象というのは、2値の結果に対して明確に区別するのではなく、あくまで確率論的に説明ができるようになっている。
    • 第4章
       量子論に置いて分子が次のエネルギー準位に移ることと突然変異が対応するらしい。ただ準位間のエネルギー差で変異が起こるのではなく、中間状態のエネルギー準位を超えるエネルギーを与えないと変異は起こらない。
    • 第5章
       突然変異に中間状態がなく「飛躍的な進化」であるのは量子論的な考え方をすればしっくりくる。本当にX線によって遺伝子の変化、突然変異が起こるのならばX線とはなんなんだろう。遺伝子に多様性を与える為のものなのか、それとも生命が進化の過程で変異を起こす為に選んだのがX線だったのか。
    • 第6章
       シュレーディンガーはこの章から、統計的な物理法則以外の別の物理法則によって生物体が成り立っていることを示そうとしている。負のエントロピーの摂取によってエントロピー増大の法則から免れようとしている。動物の肉を食べることでその秩序立った物質を取り込むことでエントロピーの増大を防いでいる。福岡先生の著書にあった消化の原理を連想させるが、あれは動物の情報を消してい るからある程度はエントロピーを増大させないと取り込めない分効率が悪いな。
    • 第7章
       原子団がその位置をほんの少し変えるだけで生命体の表象に目に見える変化が現れ、それはとても秩序立ったものの上に成り立っているという。この表現を読む限り、原子的なランダム性と分子としての秩序の間にシュレーディンガーは一定の線を引いている。ではブラウン運動のような原子のランダム性と高度な秩序の間には明確な壁はあるのだろうか。