選書の理由
福岡伸一先生の著書を色々読んでいる中で、今日たまたま書店の本棚に並んでいるところを見かけたので購入。本当は違う本を探しに行ったけど、それはなくて代わりにこの本が会ったので何かの縁だろう。書評
今は全くと言って良いほど報道されなくなった狂牛病について、10年前の当時、全頭検査の実施有無やアメリカからの輸入再開についてを議論した本。内容は狂牛病の枠組みにとらわれず、遺伝子操作や食品の安全性についての考え方、果ては生命とは何なのかまで非常に大きな視点から生命を考え直すことができる本になっている。
他の福岡先生の著書でも再三述べられているように、生命をパーツとして捉えることに強く反対されており安易な臓器移植や遺伝子組み換え、部分的なロジックに基づいた安全基準の設定などに警告を鳴らしている。特に生命は分子の淀みとして現れている現象に過ぎないという考え方の基に今一度生命とは何なのかについて考えを改めるべきであるという主張には納得感と説得力があり自分の浅はかな知識でも考えさせられるものがあった。話はやや逸れるが人工知能がブームとなっている昨今、生命とは、人とはという議論について局所的な知見ではなく命とは何かと言った一つ高い視座から考えてみるのはとても有益なことだと思った。- -メモ
分解と再生のリズムを取っているサイクリンというタンパク質、とても興味深い。なぜこういう役割を担うタンパク質が必要なのだろう。振動子になっているということなので揺り戻しの概念も考慮に入れると、時間とバランスという物の重要性や必然性を考えるヒントなのかもしれないと思わせる。
母体から母乳を通じて抗体まで受け取っているという話はとても興味深い。早くから粉ミルクで栄養のみを摂取するのではなく母親から抗体を受けとるのであれば、母乳の方が良いに決まっている。離乳とは環境に対する抗体を赤ちゃんがきちんと身につけられた時期に行うべきものだったのか。粉ミルクなど補助の域から出すものじゃないな。
記憶とは特定の分子に施されたコードではなく、細胞間の回路網のことであるという。であれば分解・再生を繰り返すことが可能で記憶の変化も分解・再生の過程での分子の微妙な変化によるものと言える。だとしたらしばしば起こる記憶の美化とは何だろう。分解・再生の過程で我々の意図がノイズ的に介在するのだろうか。それともノイズが混じり美化された記憶だけが思い出しやすくなっているという構図だろうか。