1000冊の記憶

1000冊以上本を読むともう内容が曖昧になってくるのでちゃんと感想を残します http://booklog.jp/users/f_t812

池谷裕二「進化しすぎた脳」

ニュースまとめアプリで見かけたので購入してみた。

 もともとどこかの部位を切除したとか、手術を施したとかいう記述が苦手なので若干苦労しながら読み進める。タイトルにある進化しすぎた脳という話は非常に興味深くて、脳に水が溜まるなどしていて生まれつき脳の容量が健常者の10分の1ぐらいの人でも全く健常者と変わらないのだとか。要するに人間の体を制御するためには今の脳は過剰な性能を有していて宝の持ち腐れ状態らしい。ということはなんのためにここまで脳だけ進化してしまったのかとても気になる。もし人に指が6本あったとしても問題なく脳は対処できるんだとか。ということは考えられる仮説としては、もっと昔の人間には個体のばらつきが大きくそれに対処するために脳を先に進化させたのだろうか。もしくは種の保存のために奇形に対処するために脳のおきな個体だけが生き残ったのだろうか。現代では人間個体のばらつきが小さくなったためその能力が過剰になってしまっただけなのではないだろうか。または今は5感までしかないセンサが大昔の人間にはもっとたくさんセンサがあったとか。例えばテレパシーの部類に入るような相手の考え・思考が読めたりする能力。同調なんかに近いものかもしれないけれど、そういったものをごく微小な他人のだす雰囲気、周りの空気から察する能力があったとか。いずれも言葉を獲得したことで退化した能力だったりするのかもなぁとか勝手に妄想してみた。
 人間が目を獲得したから世界が意味を持ったという話はなかなか理解できなかった、いや理解の前に納得できなかったけど電磁波が見えたらという話で妙に納得できた。もし電磁波が見えたら壁の向こう側が見えるようになるのでもう"見える"というか存在するの概念自体が変わってしまうのか。シュレディンガーの猫とか見えちゃったらもうお話にならんよね。
 "見る"という行為も能動ではなく受動か。さらに言えば何かを見て感情が揺れ動くのも受動だと思う。意識的に好きになったり、悲しくなったり、嬉しくなったりするのは偽物だろうし。そうすると意識とはなんなんだろうか。形成された感情を元に自分自身がどう行動したいかという判断を下す行為ぐらいしか意識と呼べるものは残っていないのだろうか。
 例えば人間以上の脳を持っているイルカはイルカ同士で言語体系のようなものを用いてコミュニケーションを取っているのかもしれない。人間以上の言語体系を有しているのかもしれない。でも人間との決定的な違いは、そういった異種とのコミュニケーションの可能性を探ろうとする意思だと思った。イルカは人間とコミュニケーションを取ろうとアプローチしてこない。してきているのかもしれないけど、集団として交渉するような場面には出くわさない。個体の意思ではなく集団の意思としてアプローチを試みるのは人間の脳だけだ。それになんの意味があるのか、きっと意味がない。異種の生き物とコミュニケーションをとることには意味がないと思う。そういう意味のない行為を許容できることがもっとも人間らしい振る舞いではないだろうか。人間だけが生きること以外のことを考える、執着する、無駄なことをする。そんな生物は他に知らない。
 "感情"ってなんなんだ。喪失感が生み出した悲しみ系のネガティブな幻影とそれとバランスをとるために生まれたポジティブな幻影に過ぎないのかしら。それとは別に、行き場のない感情というものも存在すると思っている。ホームシックの経験があればあれがまさにその感覚できっと不安を感じているんだろうけど、何もできない、泣けるものなら泣きたいけどそれすらできなくてただただ落ち着いていられない、部屋の中にいられずにあてもなく外に出ていって、夜が来ると落ち着くあの感情。脳の活動によって生み出された信号が行き場というか表現する言葉を見つけられずにただただ脳の中をさまよって消散するのを待っているかのようなあの感覚。
 環境や周囲の変化に対応するために人間は曖昧に記憶する、すげぇ説得力、目から鱗。ゆっくり学習するってのは学習終了期間がある程度長いって意味か。むしろオンラインでずっと学習し続けてやめることがないって思ってるんだけど。深層学習でもある一定確率で画像劣化させてそれも学習に使ったら精度上がったりするのかな。むしろそれがプーリングとかの技術か。。
 言葉が心を生んで、心が抽象化を導いた?もしこれが真なのだとしたら、言葉 -> 心 -> 抽象化 -> 言葉 というループが成立していると思う。そしてこのループがさらに高度な抽象化を可能にし複雑な心を創り上げたのではないだろうか。まぁ妄想に過ぎないけれど、だとしたら人間を人間足らしめるものはこのループ構造で心や抽象化能力などその結果・表層に過ぎないし実態としては存在しないものになる。だが、抽象化をここの脳が好き勝手に行ったら情報の伝達手段としての側面を言葉が失うことになる。抽象化の成功は他の個体とのコミュニケーションの可否に委ねられるはずでこれが評価方法なのだろう。ということはAIを人間に近づけるにはこのループを形成すれば良いことになる。しかしながら評価ができない。。複数のAIを分散的に学習させればそれらの間での評価は可能になるだろうが、それは果たして人間の知能を超越したものと言えるだろうか。全く別方向への進化・変化を遂げた人とは相入れない存在になるだけではないだろうか。ただ人の言葉をもつ人と別の生き物になるだけではないだろうか。それが人間を超越していると誰が評価できるだろう。。
 人間の記憶は劣化するというが、それは本当に"劣化"と評していいものだろうか。半分ぐらいまでこの本を読み進めるとそれすら疑わしくなってきた。ここまで進化した脳なのだから、同一であることを認識できるためにわざと抽象化してまで記憶しようとする脳なのだから、時系列の変化を可能性として含んだ記憶の仕方をしているのではないだろうか。もう完全に妄想話、人間は一度見ただけで記憶を停止しない。なんども自分の中で記憶を反芻する、その際に時間の経過による変化を可能性に考慮して記憶しようとする。すると時間が経つごとに情報が発散していき、意識の元に呼び起こそうとした際に再現できなくなったり最初に記憶したものとは大きく変質してしまっているのではないだろうか。
 そうかイオンの状態にすると濃度以外に電荷的にも均衡を保とうとするのか、面白い仕組みだな。どうやって折り合いつけてるんだろ。。
 シナプスでの物質の伝達が確率的ということは同じ動きをしようと思っても毎回確実に同じ動きができる訳ではないということか。運動系は伝達確率が高いだけで100%ではないのなら、一度として同じ動きができないのかもしれない。練習によって練度をあげるのは毎回きちんと伝達されるようにする訓練なのかと思ったけどもしかしたら確率的なばらつきを体に覚えさせる作業なのかもしれないな。あと思い出したくても中々思い出せない状況の時は何回も思い出そうとする行為が効果的ということだな。
 Cl-の話は深層学習でも実装されてるあえて学習サボる奴のことだな。シナプスの不確実さはその数の多さで補っているように思える。
 進化のプロセス・方向自体も自分たちで決めなければいけない時代か。そんなことに誰が責任持てるんだろうね。進化というかもう変化と呼んだ方がいいのかもしれないけれど、変化した後の人間がどうなるのかなんて今生きている人間にはわからないもんな。そうすると責任とは違う集団としての概念みたいなものを人間は形成できるようになったりするんだろうか。一種の諦めのような倦怠感が生きていることに対して生まれてくるのかもしれないね。
 修行と称して特に意味を求めず365日同じ行為を続けるというのがある。これは脳科学的にいうと確固たるシナプスの経路を形成する行為に他ならない。これによってシナプスの伝達確率はどの程度までどのくらいの期間で上がるのだろう。いずれにせよ数ヶ月か一年程度でよっぽど複雑なことをやっていない限り毎日同じ行為を繰り返して入れば、伝達確率の向上は飽和すると思う。だとしたらその状態で10年、20年修行を続けた人の脳はどうなっているんだろう。ハンターハンターのネテロ会長じゃないけど、伝達率が向上して、伝達物質もほんの少量で済むようになれば極限まで時間が短くなるというのはあながち間違いじゃないかも。
 最後の方で僕と全く同じAIについての意見が書いてあった。"今後、新しいAIができて、その機械が「心」を持ったとするでしょ。でもね、仮にできたとしても、その「心」を僕たち人間の脳は理解できないと思う。まったく違った心の構造を持った生き物になるのではないかな。"そう、僕もそう思う。というか人工知能が心を持ったこと自体認識できないんじゃないかな。きっと多くの人が否定するような形で人工知能は心を持つことになると思う。それは今、犬や猫みたいな動物が心を持っていると主張することと大差ないんじゃないかな。
 人間が目から入ってくる情報をわずか3%だけしか使ってないって、すごいな。じゃ今の人工知能の画像認識なんて根本から間違ってんじゃん。もっといろんな画像死ぬほど見せないと人間並みの認識能力なんて到底得られないね。
 "科学は解釈学だ。"科学が因果関係を記述することができないものだとしたら、人工知能なんか本当に作れるんだろうか。脳の構造をコピィすれば本当に意識が芽生える?シナプスの数を人間以上にすれば超知能が生まれる?今のマシンスペックでも単一の問題解かせるならむしろ人間よりも高スペックじゃないのかな。

  • 雑感:けっこう面白かった。読みながらああでもないこうでもないとメモしながら読んだので単純に読み飛ばすよりは妄想が進んだと思う。最初に出たのが10年前の本だから内容は古くなっているんだろうけど、今の深層学習に取り入れられてる技術も出てきたりして興味深かった。ただ読み進めるほどに今のディープラーニングっていうブレイクスルーがあってもシンギュラリティは起きないだろうなって確度が高くなっていった。