1000冊の記憶

1000冊以上本を読むともう内容が曖昧になってくるのでちゃんと感想を残します http://booklog.jp/users/f_t812

小保方晴子「小保方晴子日記」を読んだ

人を殺した訳でも金を盗んだ訳でもないのに人をここまで追い詰めるマスゴミってなんなんだろうなと思った.バックについてるのはこういう週刊誌とかを読んでる暇人なんだろうけど正直こういうい人種ってよくわからん. 確か養老孟司先生の本だったと思うけど(違ったかも),今の人は全てを0か1に綺麗に分けたがっているという内容の記述があった.この小保方さんの事件も昔のオウム事件の時に冤罪で犯人扱いされた河野さん(また間違ってるかも)も同じだろう.特に小保方さんの件など不正どころか論文のミスという話なら,どこにでもある話でしょ.それこそ他者の追試なんで相当に時間がかかるんだから強いて言えば見抜けなかったNatureのミスだろうよ.
とかくこういうことでゴミみたいな正義感振りかざすマスゴミってよくわからないものをよくわからないまま許容できるキャパシティがないしそいつらの記事をありがたく読んでる人間も相当にクズだなって思った.
この小保方さんの日記読んで二年前に「あの日」読んだこと思い出したけど,やっぱり思ったのはマスゴミとかの人間は”νガンダム”の映画観てアムロから”人が人に罰を与えようとするな”って怒られた方がいいよ.

東野圭吾「魔力の胎動」を読んだ

ラプラスの魔女」の前日譚.物語は魔女ではなくある悩みを抱えている青年の目線で始まっており,まだ10代半ばの魔女がところどころに絡んでくるショートストーリィで展開されていく.以前の作品もそうだった気がするけれど,テーマはLGBTとかもっと目線を上げれば人の中に存在する無意識の差別だったり異端の排除だったりするのかもしれない.東野圭吾氏の作品によくあるパターンでミステリーで描かれつつもしっかりとした裏テーマがあって,その伏線の貼り方が凄い.読者が伏線だろうなと思って読んでいる所の上を付いてくる.今回も主人公の物語初期の行動がしっかり伏線になっていて,後半にいくと前半の何気ない行動の描写に意味があったことがわかるようになっている. まぁとにかく結構面白い.
最後の一章だけ他とは全く別の構成になっていた.この章は直接的にラプラスに繋がっていくみたい.もう一回ラプラス読み直そう.

福岡伸一「やわらかな生命」を読んだ

装いが素敵な本.とても綺麗で思わず魅入ってしまう表紙だけどこれが何かはあとがきにちゃんと書いてありました.
本書は福岡先生が雑誌で連載していた記事をまとめたものです.生物学に関する話とかフェルメールに関する話とか先生が普段考えていることがつらつら書いてあります.
その中で印象に残ったものが一つ.「しごとがしてある」というタイトルの記事.意味的にはちゃんと細部に目が行き届いているという意味で,昔ながらの表現で言うと神は細部に宿る,だと思います.この言葉好きだなと思った.

野村克也「野村のイチロー論」を読んだ

 野村克也氏によるイチローの批評だった.氏はイチローと直接話したことはないらしいが,それでもこれまでの成績や報道される言動からイチローについて評価を下していた.内容としては野村氏がヤクルトの監督だったころ日本シリーズで如何にイチローを抑えたかや,オールスターでピッチャーイチローという仰木監督の采配についての意見など当時を知っている人が読めばなるほどそういうことだったのかと思えて面白かった.
 その他では,歴代の名バッターや松井秀喜氏との比較など野村氏からの目線で如何にイチローが卓越していたかが語られており,イチローの凄さを改めて思い知らされた.
 全般的にポジティブな意見,ネガティブな意見のどちらかに偏ることがなく良い点,悪い点,先人たちと比べて優っている点,劣っている点が満遍なく書かれておりかなり公平な評価を下している印象だった.その中でもONに対してイチローが劣っている点については必見だと思う.

山白朝子「私の頭が正常であったなら」を読んだ

 著者山白朝子となっているけど乙一の別名ではないかと言われている人の作品です.乙一の初期の頃の作品を彷彿とさせるようなグロテスクな内容がちらほら見受けられた.心臓の弱い人は外で読むのに注意が必要.
 短編集だったが多くの作品では死者との別れを悲しむもので読んでいるとこちらまで悲しくなった.ホラー要素はむしろおまけでメインは死別の悲しみを扱ったものだった.
 最後の話だけはホラーではなかったものの,読んでいると悲しくなるのは変わらなかった.

半藤一利「世界史のなかの昭和史」を読んだ

 主に大正時代の終わりから,ドイツ・ソ連・アメリカの動向と日本の歴史が描かれている.ただし各国の歴史を年表のように並べたものではなくある程度時代を集約しながら,当時の状況が調査されている.また大正末期から昭和初期の動静について世界史に目を向けた時の歴史的ターニングポイントの同時発生性や,現在の安倍内閣やトランプ政権などとの同一性が強調されているが,少し誇張的であまり信頼できるものではない.
 ただ当時の世論の雰囲気,当時の人がどういうことに関心を抱いていて,どういう判断を下したのかが単に歴史的事実だけでなくいわゆる"歴史の雰囲気"を調べた上で考察しているところが非常に面白い.この部分を読み取れれば,よく振り返らないと歴史というものは認識できないと言われている事実に対して,今現在進行中の歴史から未来を考察する力を養えるのではないかと思われる.それは多くの歴史書が時の首相や権力者など特定の人物の目線で書かれているのに対して,この書では随所に一国民の目線でその時,一般人がどんな情報を得ることができて情報を発信する側がどんな情報を発信していたかを描いているからだと思われる.この書を読んでいるとなぜ日本が太平洋戦争という無謀な戦争に国民総出で突入していったか,そのような空気が成就されたのがある程度見えてくると思う.
 最後まで読み切ったが,全体としてはやや読みにくい感のある内容だった.氏もあとがきで言及していたが,目線が一国に固定されておらず主にドイツ,日本,ソ連,米国を行ったり来たりした点と時系列順に必ずしも並んでいなかった点などがあげられると思う.しかしながら資料としては信憑性が怪しいリソースはいくつかあったものの読んでいてほうと思わされるようなものがたくさんあった.

養老孟司「半分生きて,半分死んでいる」を読んだ

 養老孟司ってこんな人だったかな,という印象を持った本だった(悪い意味で).体格の良い人間が必死になって100mを走っている意味がわからないだの,そう言われたら傷つくだろうから言わないだの,いかにもな年寄りになってしまっている.そんなことをして何の意味があるんだとでも言いたんだろうが,そもそも意味のないことができることこそが人間らしさだろう.というか生きていることこそ意味のないことだ.そして養老孟司に言われて誰かが傷つくと思っている時点で酷く傲慢だ.年寄りの妄言などどうでも良いよ.
 読み進めていったら途中から面白くなってきた.特に現代,情報化社会では0か1,白黒で物事を判断するようになったという話が印象に残った.今までは0,1だったかもしれないがコンピュータ的には確率値で表現する場面も増えてきているので過渡期にすぎなかった気がしないでもないが,人間の考え方の方は2値分類になってしまっている気がする.SNSの炎上なんかもこの類だろう,何かを言えばレッテルを貼って決めつけて袋叩きにする.脳が退化しているのかもしれない.もしくはどちらつかずの状況を許容できる余裕がないのだろうか.いずれにせよこれは考えさせられるところがあったなぁ.